新宿御苑に行ってきました
今日は雪がチラチラしていましたが
昨日はとてもいいお天気でした。
春の風に誘われて
新宿御苑を散策してきました。
梅がほんの少し咲き始めていました。
先遣隊という感じでしょうか?
ピントが合ってません…いわゆるピンボケ

新宿御苑の歴史はとても長いのです。
遡ると、徳川家康が江戸に入ったのは1590年。
翌年、家臣の内藤氏は、
家康から土地を賜り、屋敷地としました。
東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保、
広大な土地です。
内藤氏の名前から内藤町と呼ばれていました。
その後、高遠藩主となった内藤氏は
神田小川町に上屋敷を賜り、
この内藤町は下屋敷となりました。
当時、玉川園と呼ばれていて江戸時代の名園のひとつで、
地域住民も楽しめる、のどかな田園風景の庭園だったそうです。
住民も楽しめるというところがいいですね。
今も現存する玉藻池は当時からありました。
内藤氏が高遠藩主だったことから、
新宿御苑がある新宿区と旧高遠町は
昭和61年から友好提携しています。
土地がもつ歴史の記憶が今も続いています。
そんなはるか昔を偲びながら歩くと、
新宿御苑散策も楽しさが増してきます。

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昨日はとてもいいお天気でした。
春の風に誘われて
新宿御苑を散策してきました。
梅がほんの少し咲き始めていました。
先遣隊という感じでしょうか?
ピントが合ってません…いわゆるピンボケ

新宿御苑の歴史はとても長いのです。
遡ると、徳川家康が江戸に入ったのは1590年。
翌年、家臣の内藤氏は、
家康から土地を賜り、屋敷地としました。
東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保、
広大な土地です。
内藤氏の名前から内藤町と呼ばれていました。
その後、高遠藩主となった内藤氏は
神田小川町に上屋敷を賜り、
この内藤町は下屋敷となりました。
当時、玉川園と呼ばれていて江戸時代の名園のひとつで、
地域住民も楽しめる、のどかな田園風景の庭園だったそうです。
住民も楽しめるというところがいいですね。
今も現存する玉藻池は当時からありました。
内藤氏が高遠藩主だったことから、
新宿御苑がある新宿区と旧高遠町は
昭和61年から友好提携しています。
土地がもつ歴史の記憶が今も続いています。
そんなはるか昔を偲びながら歩くと、
新宿御苑散策も楽しさが増してきます。

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